追記
この話をSTORYS.JPに投稿したら1日で100以上のはてなブックマークが付き、著名な方からも多くのコメントをいただきました。ありがとうございます。
また『ビリギャル』発祥のSTORYS.JPと吉本興業が共催の原作物語コンテストで応募数873作品から選ばれて入賞しました。STORYS.JP編集部の清瀬さん、吉本興業社員の竹山さん選んでいただきまして大変感謝いたします。
〜〜〜〜本編ここから〜〜〜〜
レンガです。
最近、YouTubeに昔弾いたピアノの音源をアップしたら「勇気をもらった」「感激した」と言っていくれる人が結構いた。なので当時の体験をシェアしたいと思う。
僕はとにかく嫌なものから逃げて生きてきた。やりたくないことからは徹底的に逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げまくった。
この話は僕が起業した後の人生の教訓にもなっているので、もし今何か挑戦していることがあれば参考になれば嬉しい。
親のような真面目なサラリーマンだけにはなりたくない
銀行マンの父と証券ウーマンの母の間に生まれた僕は、とにかく両親のような生き方が嫌で嫌で仕方なかった。
僕「なんで学校変わらなアカンの?」
母親「父さんの勤め先の支店が変わるんよ。」
僕「なんで変わるん?」
母親「上の人が言われたら従うしかないんよ」
僕「従わんかったらどうなるん?」
母親「銀行におったら上の言うようにせなあかんのよ」
上司の命令1つで転勤が決まる転勤族。
そのため僕は転校を繰り返していた。
小学校は3校行ったし中学校も2校行って義務教育だけも5校も行ったので、
常に会社にすべて支配され続けていることは小さいながらも身を持って体験していた。
僕は親の生き方を反面教師にしてその反骨精神を原動力にしいていた。
「普通に大学に行って就職とか墓場やわ」とか言って粋がっていた。
ただの中二病でしかないし、今思うとマジでクソすぎ。
就職する以外の道を模索して芸大に入り、台本を書くライター・映像の編集・Web制作など何でも屋のようにやってみるものの3000円とか4000円とかしか稼げない。
こんなので生活できるほど世の中甘くはなかった。
高校時代からの仲が良かった友達は、週刊ジャンプの手塚賞を獲って集英社の担当者がついて、卒業前の時点でもう大きな仕事をしていた。
正直羨ましすぎた。
僕は何の才能もないし、オワタ\(^o^)/
ほんとうに社会のゴミだと思っていた。
時は過ぎ1年後には卒業。
モラトリアム期間は終了し、仕送りはストップされる。
でも「就職するぐらいだったら死んだ方がマシ」という中二病は治らない。
就活は嫌だ!ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!やりたくないことは絶対やりたいくない!
就活がイヤ過ぎて現実逃避
当時、キャンパスライフが描かれたドラマが放送されていた。僕とは全く真逆の充実したキャンパスライフの内容だった。
妻夫木聡と柴咲コウが出てたやつ。そこで、難聴のヴァイオリニスト役をしている柴咲コウがピアノを弾くシーンがあった。
その曲を聴いて「おーこの曲めちゃいい!!」と思った。で、今までにピアノなんか弾いたことないのに、この曲ピアノで弾けたらいいなあと。
「よしこれを弾くことを目標にしよう!」
と、なぜかわからないけど直感的にそう思った。今思うと完全に就活というやるべきことから現実逃避したいだけのおこちゃまだ。
「こんなん素人が弾くのは無理やと思うよ」
さっそく曲名を調べたら、それはショパンの通称『英雄ポロネーズ』という曲だった。
僕はとりあえず楽譜を手に入れたかったので、ピアノを選考している知り合いのM子に聞いた。
僕「ショパンの英雄ポロネーズの楽譜持ってない?」
M子「なんで?」
僕「いや、弾こうかなと思って」
M子「は?」
僕「ん?」
M子「弾くの?誰が?」
僕「オレが」
M子「ピアノとかやってたっけ?」
僕「いや、やってないよ」
M子「英雄ポロネーズってうちらでも弾くの難しいよ」
僕「そうなん?」
M子「もっと簡単なのからはじめたら?ってかこんなん素人が弾くのは無理やと思う」
なぜこういう反応をされるのか、その時僕はよくわからなかった。
けどそれは、楽譜を見た瞬間にその理由は明らかになった。
楽譜を手に入れたら最難関の曲だった
あら?これ・・・結構大変そう。
一瞬気が遠くなった!
こんなにオタマジャクシの周りに記号がついている楽譜は始めてみた。
ト音記号とヘ音記号の読み方しかわからない僕は、まず演奏記号の意味を調べるとこからはじめた。
調べているとわかったんだけど、どうやらこの曲の難易度はA~Fランク付けの中で、最難関のFランクに当たる「上級上」というものだった。
もちろんプロと素人では”弾ける”レベルは違うんだけど、人前で弾くには5年かかると言う人もいる。
ピアノをはじめて1日目。一小節目からもうわからない・・・・
ピアノをはじめて1日目。案の定、一小節目からもう弾けない。
楽譜には「指番号」というどの指で音符を弾いたら良いのかを示した番号がある。しかし、この曲は最難関だけあって、指番号を見てスラスラ弾けるようなものではないのがわかった。
楽譜を手にしたのはいいものの、譜面だけで弾き切るのは確かに無理だと思った。ピアノ専攻のM子が言うようにもっと簡単な曲からはじめた方がいいのか?一瞬頭をよぎった。
けど僕は就活から逃げて現実を逃避している。言ってしまえば”バーチャルな世界”に浸っている。なのに基礎から忠実にはじめるみたいなそんな建設的なプランはおもしろくない。
そう思った。
このノリで一気にやり切りたいせっかく最難関だというのがわかったんだから、最初からこれに挑戦したい。僕は最初この曲を聴いた時、決して難しそうとは思わなかった。
けど、
譜面を見て難易度が最上級のFだと知り、世間一般では難しいと言われていることを知ってしまった。それで難しいものと思い込まされた気がした。
なので僕は最初に「自分にもできそう!」と感じた感覚を大切にしようと思った。
衝撃の出会い
楽譜があっても実際どういう感じで演奏すればいいのかわからない。音声CDだけでは完全なイメージができない。
僕は実際にこの曲を演奏しているのを見える環境が必要だと思った。そして、お手本となる演奏者を探すところからはじめた。
幸い資料室にいろんな演奏資料が置いてあったので、僕は英雄ポロネーズを演奏するピアニストを調べあげた。
そこには今はもう無いLD(レーザーディスク)というレコードみたいな盤の映像資料も貸し出しがされている。
そこで僕はあるピアニストのLDを観て衝撃を受けた。
そのピアニストはスタニスラフ・ブーニンだった。
素人の僕はそのブーニンの演奏を見て、何これ!!!!!
と思った。タッチの強さや表現が他のピアニストとは全然違う!何かが圧倒的だった。表現方法が圧倒的なのかもしれない。
でも何が違うのかは言葉では言い現せない。なんかそんな感じだった。
「カッコ良すぎる!!!」
その演奏のダイナミックさにひきこまれた。僕の人生でピアニストを見て衝撃を受けることなんか全く想定もしてなかったので余計に衝撃的だった。
ド素人の僕がその演奏の魅力に完全に取り憑かれたのだ。
1985年頃日本で”ブーニン・シンドローム”と言われるほどブームが巻き起こっていたことを僕は後に知った。
狂ったようにピアノを弾き続ける日々
それから僕はブーニンをお手本に毎日ピアノに向かった。
アップライトピアノとグランドピアノの違いも知らない人間で、グランドピアノの蓋が開くことさえも知らなかった。
そういえば小学校の音楽室で先生が蓋を開けてたな・・・みたいなレベル。
ピアノのメーカーによって鍵盤のタッチの感覚が全く違うのも練習をするようになってわかった。
僕のピアノの練習方法はこうだ。
[1]その日にマスターしたい小節を楽譜を見て確認↓
[2]資料室に言ってブーニンのLDを試聴↓
[3]弾きたい小節の部分を何回も「再生ボタン」「戻るボタン」を繰返して、ブーニンの指の動かし方、タッチの強弱、間のとり方をイメトレ。
僕自身がブーニンだと思い込ませる。
↓
[4]そのイメージのままKAWAIのピアノが置いてある教室に行って練習↓
[5]その後YAMAHAまたはSTEINWAYのピアノが置いてある教室に行って練習僕はこの1~5をルーティーンワークとして繰り返していた。
[4]のKAWAIのピアノでまず練習するのはKAWAIの鍵盤は重く弾きにくいと感じたからだ。逆にYAMAHAや特にSTEINWAYはタッチが軽く非常にひきやすい。だからまず練習のウォーミングアップはKAWAIで弾くようにした。スポーツと同じで、例えば野球で言うとピッチャーが試合前に通常のバッテリー間より長めの距離で投球練習するようなもの。
重い鍵盤で弾いておくと軽い鍵盤で弾いた時にすごく上手くなったように感じる。
そして、
コンディションが良い時もあるし、コンディションが悪い時もある。
コンディションが悪いときはこれまでの復習に多めに時間を当てる。コンディションが良い時は多めに新しい小節を進める。
そういうことを常に意識して取り組んだ。
3ヶ月が経過したが・・・
そして、3ヶ月が経過。しかし、なかなか前に進まない。まだ序盤を練習している状態。
なめてた。
さすがに最難関の曲だけあって、例えば「ファ」から1オクターブ上の「ラ」の白鍵を片手で押さえないいけないという箇所がある。
一般の女性の指の幅だと普通に届かない。その場合は主旋律に影響しない音を抜くしかない。
幸い僕は手は大きいほうなので、「ファ」 から1オクターブ上の 「ラ」 の白鍵がなんとギリギリ届く。
けど、普通に鍵盤を押さえるのでは無理なので、鍵盤の側面をひっかけるようにこのように弾く。
なんちゅー曲や!
イメージトレーニングだけは欠かさない
けど、イメージトレーニングだけは欠かさなかった。
ピアノがない時は机の上でエアピアノ。鍵盤をイメージしながら指を動かす。頭の中はいつもブーニンの英雄ポロネーズ。
イメトレの重要さはこの時に学んだ。何度もブーニンのLDで映像を見る。その映像も常に手元が写っているわけではない。鍵盤が写っていないカットも多々ある。
その時はのぞき込んででも見たい気持ちになる。実際は見えないので、その場合は他の演奏者の映像を見て指の動きを参考にしながら、ブーニンの演奏に近い感じになるように注意した。
僕は何もわからない状態からはじめたので、とにかくブーニンを完コピしていた。一人でブーニンの表情のモノマネをしたりもした。
僕はこの八ヶ岳高原音楽堂で演奏されたブーニンのLDを何回LDデッキに入れて見ただろうか。
30日×7ヶ月だとしても200回以上は超えているだろう。
資料館の受付の人に同じLDの200回以上も貸出を申請したんだから、まあなんか病気なんだろーと思われてもいいレベル。
練習をすすめるほどこの曲の難しさがわかるようになってきた。弾くことが少し楽しくなってきた。
母親から電話がかかってくる
僕「もしもし」
母親「あんた就職はどないするん?」
僕「ん~まあなんとか」
母親「なんとかってどうするん?」
僕「ん~まあなんとか」
母親「ええ!なんとかって?」
僕「ん~まあ」
母親「就職活動はしとるん?」
僕「してない」
母親「えーーーーーーーーー!何で!?」
僕「したくないから」
母親「え ー!ほんなん!ちょっとどうするん!ちゃんと就職せなあかんよ。」
僕「・・・」
母親「ちゃんとな就職して、給料もらって、ボーナスもらえるところに入らなあかんのよ。
前にも言うただけどな、ボーナスをもらって安定した・・・」
僕は「切るよ」とも言わず電話を切った。こういう会話はもう数十回とした気がする。
いかに自分の才能を活かして生きるか。才能のない人間は社会の役に立たない。
何の才能もない人間が就職して生きていくものだ、
と、当時はそんな視野の狭い価値観で生きていた。
これが弾けたら人生終わりにしよう
ピアノをはじめて4ヶ月。
この頃、僕は食中毒になっていた。
毎日激しい下痢におそわれていた。
けどそんなことは言ってられなかった。
スピードアップしないと、この”バーチャルプロジェクト”さえも達成できずに終わってしまうことになる。僕はしんどくなったら鍵盤の蓋を閉じて、その上で仮眠をとりながら練習をした。
今のペースではまずい。
僕は練習時間を増やすために、ピアノが使える教室に朝早く行って、夜誰もいない時間を活用した。早朝7時に弾くピアノは爽快で気持がよかった。この時間は掃除のおばちゃんがいた。
掃除のおばちゃん「上手ね~こんな時間から練習?」
僕「ええ、まあ」
掃除のおばちゃん「えらいね~。何回生?」
僕「4です」
掃除のおばちゃん「あらそ~。じゃあ、もう卒業後はどうするか決まってるの?」
僕「ええ、まあ(さすがにそんなのは放棄して、
ひたすらピアノを弾いてるんですなんか言えない・・・)
掃除のおばちゃん「すごいわね~私も娘がいてね。学生なんだけど、こうやってあなたみたに才能があればいいんだけど。」
僕「いや、そんなの無いですよ。」
掃除のおばちゃん「羨ましいーわっ!」
いやいや(^_^;)
(全然羨ましくないぞっ!)
それから掃除のおばちゃんは、僕に会う度に話しかけてくるようになった。
いつも朝早くからピアノの練習をしている僕の姿を見て、褒めてくれたりなぜか応援してくれていた。けど、掃除のおばちゃんに褒めれる度に僕は憂鬱な気持ちになった。
5ヶ月後経過:中盤の左手のオクターブの「タタタタ、タタタタ、タタタタ」の連打とか意味わからんw
ピアノをはじめて5ヶ月が経った。
英雄ポロネーズは曲の中盤で調が変わるんだけど、中間部で左手でオクターブを永遠に連打するところが出てくる。この楽譜はその一部。
左手をひたすら「タタタタ、 タタタタ、 タタタタ」と動かす。これが × 30小節ぐらい続く。一見譜面だけで見ると単純に見えるのだけど、実はここ完全に実力がモロに出る。というか誤魔化せない。
基礎をやってない僕にとってはこういうところが大きな壁だと思った。
「タタタタ、 タタタタ、 タタタタ」と右手を合わせるのが意外に難しい。途中でこんがらがる。基礎を完全にすっ飛ばして力技で英雄ポロネーズに挑んでいるためこんな単純なことができずに、もしかしたら結果的に遠回りをしているのかもしれないと感じた。
けど、いきなり最難関から挑戦すると一度決めたんだから絶対にやる。
僕はこの左手の高速オクターブの連打の部分の練習を毎日することにした。その目的はこの高速オクターブの連打の部分 「弾く」というより、もう体で覚えさせて「慣れ」にしようと考えた。
秋に近づくと 気温が下がり、練習も最初は手が冷えて思うように動かない。ある程度体が温まるまでスムーズに指が動かせない。
なのでこの左手オクターブの連打を1日の最初のウォーミングアップメニューとして取り入れた。そうすると、体も温まるし、 中間部の練習にもなるし、1日の練習のウォーミングアップにもなる。一石三鳥だ。
このやり方で なんとかすっ飛ばした基礎をこれでカバーしたつもりだった。
ただ後から知ったのだけど、この高速オクターブの連打は”基礎”というより、高度なテクニックな要求される箇所だった。
次第に練習中に話かけてくる人が増えてきた
曲が少しずつカタチになってくると、その教室から漏れるピアノの音を聴いてのぞきにくる人が増えてきた。有名曲なので「それショパンのヤツですよね?」言ってくるようになった。
あっ、わかるのか。と思って嬉しかった。
顔見知りがたまたま教室に入ってきて驚かれることもあったし、僕がピアノばっかり弾いて過ごしているのを噂で聞いて、精神系の病気にでもなったのか?と心配してくれた友達が僕の様子を見に来てくれたこともあった。
また、吹奏楽の演奏を専攻している人からこんなことを言われた。
「あの~」
僕「あーすいません、もうすぐ片付けて出ていきますので!」
「あーいや。そうじゃなくて」
僕「はい?」
「卒業演奏の伴奏をしてくれませんか?」
えーーーーーーーーーっ!!いやいや、僕はまだピアノをはじめて6ヶ月の趣味とも言えないレベルで。これにはさすがに驚いたんだけどスカウトしてくれたのは嬉しかった。
そして、
ピアノをはじめて7ヶ月後、
英雄ポロネーズを一通り弾けるようになった。
この曲は最後の最後まで難しかった
英雄ポロネーズの最後の終盤は、最も左手と右手の距離が離れて行く箇所がある。
左手と右手が左右に離れていくと、鍵盤を見る目が1点では視野に入らなくなる。ここが非常に難しかった。
また、この曲は演奏すると7分ぐらいになるんだけど、もともとタッチの強い曲でさらに力強い弾き方をするブーニンの真似をすると、終盤のこの辺で握力がだんだんなくなることもあった。
8ヶ月目には素人ながら人前で暗譜で発表できるまでになった。
たった1度だけ最初で最後の発表会をした。
僕はその後二度とピアノを弾くことはなかった。
最近過去のデータの整理をしていたら、その時の音源がたまたま見つかったのでYouTubeにアップしたらすごく感動してくれた人が何人かいた。
なので今回このストーリーを書いた。
▼よければご視聴ください
[音源]ポロネーズ第6番「英雄」変イ長調|ピアノをはじめて8ヶ月目 (暗譜)
8ヶ月を通してわかった2つのこと
僕がこの経験を通してわかったことは、ド素人が成果を上げるために一番早いのは”模倣”だということ。
僕はブーニンを徹底的に模倣した。模倣というレベルより自分はもうブーニンだと思い込ませてブーニンに成りきって練習した。
もちろん専門家から見たら、人前で聴かせるレベルではないだろう。
ただ、
一般の仕事では完成度の高さより、より早く一定のレベルまで持ってくことの方が重要だ。ならば、徹底的な模倣が短期間での上達の近道だと言える。あらゆるジャンルにおいてそうだ。
僕は今自分でビジネスをして生きているけど、今もこの”徹底的な模倣”が結果に結びついている。
これは間違いない。
そしてもう1つ。
この話は就活を放棄して、ピアノが弾けるようになったというお気楽なハッピーエンドではない。
言ってしまえば何の解決もしていない。
自分でお金を稼げないなら、おとなしく就活をしろ、ということだ。
僕は現実から逃げてしまったのでその代償を後でくらう。この話しは現実逃避したバーチャルな世界の話と言ってもいい。
現実はお金を稼がないとどうにもならいないということだ。さっきも言ったように、僕はこれ以降ピアノなんか弾くことはなかった。今後もやるつもりはない。
なぜなら意味がないからだ。
当時の僕はそう判断していた。
情けないことに 僕はこの後自分で稼ぐこともできず仕方なく就職をするという結末になる。そしてこの後僕に待ち受けていたのは「会社に行きたくなくて月曜日に吐き気がしていた上場企業社員時代の話」という現実だ。
今回はその話は本筋とはそれるので割愛する。
当たり前だけど、得たものもあるけど当然失ったものもあるわけだ。
ただ、この教訓を活かせば、どんなことでも挑戦して目標を決めれば達成できることはわかった。それはこの経験を通しで得た財産だ。
言えることは、この1つの成功体験がその後の僕人生にも影響していることは間違いない。
僕のこの小さな経験が少しでもあなたの挑戦する勇気になれば嬉しいと思う。
長文読んでいただきありがとうございました。
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